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事業ピボット後、初の退職者はCEOの弟?!スタートアップで兄弟が働くリアル

カミナシnote編集部です!
昨年の事業ピボット以来、わずか数名だった社員は現在では30名まで増え、現在も拡大中のカミナシ。しかし今月、残念ながらピボット後初の退職者が出ることになりました……。
その退職者とは、CEOの弟である諸岡勇人(もろおか・はやと)さんです。

これまで2年半、セールスやCSとして活躍してくれていた勇人さんは、このたび諸岡家の家業を継ぐためカミナシを退職することとなりました。

兄弟で共同創業するスタートアップはいくつか存在するものの、途中からジョインするケースはめったにありません。なぜ勇人さんはカミナシにジョインしたのか、そして、兄弟がスタートアップで共に働くことのリアルを、今回は兄弟の対談形式でお届けします。

小さい頃は喧嘩をよくするどこにでもいる兄弟だった

—— 二人は2歳違いの兄弟ですよね。小さい頃はどんな兄弟だったんですか?

諸岡(兄):小さい頃、勇人は内向的で友達も少なかったんです。僕は当時から社交的なほうだったから、勇人は僕にひっついて僕の友達と一緒に遊んでいた記憶がありますね。

勇人(弟):たしかに兄は社交的で友達もいっぱいいましたね。でも実は、すごい自己中心的な性格なんですよ。カミナシメンバーはそんなイメージ持っていないかもしれないけど、今でも家族からは「自己中」だとよく言われています。
小学校のときは僕のお年玉を全部持っていくし、大きくなってからも僕がパチンコで勝つと全部持っていくようなヒドい兄でしたね(笑)

諸岡:おやつが兄弟分あると僕が全部食べちゃったりね。たしかにヒドい兄でした(笑)

幼少時の諸岡兄弟

▲幼少期の諸岡兄弟。
下段左が兄・諸岡裕人、下段右が弟・諸岡勇人

兄弟が一緒に働くことになった理由は誰のため?

—— その後、大人になってそれぞれ違う仕事をしていて、諸岡さんは2016年に起業をしますよね。そして2019年に勇人さんがジョインしています。なぜ途中から勇人さんは参画したのでしょうか?

諸岡:理由は2つあって。まず1つ目は、勇人のためでした。当時勇人は親族の会社を手伝っていて、子会社を立ち上げて経営者としてやっていたんです。でも、側から見る勇人はその事業に本気で挑戦しているように見えず、まさに「くすぶっている状態」だった。
だから、スタートアップの環境に身を置いてがむしゃらにやる機会をあげたかったんですよね。

そして2つ目は、僕自身のためです(笑)
当時のカミナシには、エンジニアと僕しかいなかったので、開発以外のことはすべて自分がやらないといけなかった。何でも頼めてお金のことも任せられる、信頼できる人材が欲しかったというのが正直なところでした。

勇人:兄から「このままだと勇人は成長できないからカミナシに来い」と、誘われました。たしかに当時は、自分でも成長できていないな…という実感があってモヤモヤしていました。
一方で、兄自身が手が回らなくて困っているんだろうな、というのもわかっていたし、兄から頼られるのは正直嫌じゃなかったので、2019年4月にカミナシにジョインすることにしたんです。

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▲諸岡勇人(左・弟)、CEO 諸岡裕人(右・兄)

—— 実際にカミナシにジョインしてみていかがでしたか?

勇人:正直「とんでもないところに来ちゃったな」と思いました。
兄が家族に会社のことを話すとき、とても順調そうに言っていたんです。でも、実際はだいぶ話が盛られていて聞いていた話とは全然違っていた(笑)

スタートアップらしく未整備なものがたくさんあるし、とにかくやらなきゃいけないことばかり。入社当日に、いきなり大量の請求書や書類を渡されて、「これよろしく!」と言われましたから。後悔している暇はなかったですね。

諸岡:僕自身は勇人がジョインしてくれてめちゃくちゃ助かりました。
勇人はカミナシに入る前は経営者としてやっていたこともあって、会社の数字がわかる。入って早々に、コスト管理とかやり始めてくれたんです。

あと、精神的な支えとしても大きかったですね。
実は勇人がジョインしたばかりの頃は、事業ピボットを決断する前で、結構苦しい時期だったんです。組織的にも当時はまだ数人しかいないのに、正直うまくいっている状態ではなくて、僕自身も悩んでいました。
そんなときに、勇人が「ここは直した方が良いよ」とか「これは裕人は間違っていないと思う」と率直にフィードバックをくれたことを今でも覚えています。あれは心強かったな。

勇人:二人とも千葉県成田市に住んでいるので、帰りの電車が同じなんですよ。1時間くらい電車に乗っているので、そのときにいろいろ話しましたね。
今思うと恥ずかしいんだけど、同じカミナシTシャツ着て、使っていたバックパックも同じで、まるで双子コーデみたいな状態で並んで電車に乗っていました(笑)

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▲諸岡勇人(弟)

—— 今日はその当時のTシャツを着ていただいていますね(笑)ところで、勇人さんは普段は諸岡さんのことをなんと呼んでいるんでしょうか?

勇人:小さい頃から「裕人」って呼び捨てですね。実は入社直後もそのまま呼んでいたんですが、一度、顧客対応の件で会社で衝突したことがあって。そのときの話が父に伝わって、父から諭されたんです。「お前は兄を支えるためにカミナシに入ったのだから、覚悟を決めろ」と。
そのときからは、会社では「社長」と呼ぶようにしましたね。プライベートでは今も変わらず「裕人」と呼んでいます。

2年半で変わったお互いを見る視点

—— この2年半でお互いを見る目は変わりましたか?

諸岡:だいぶ変わりましたね。実は勇人は「すごい出来る奴だった」と気づきました(笑)
ジョインしたばかりの頃、僕は結構マイクロマネジメントしていて、メールの文章についてもうるさく言っていたんです。
でも、組織が拡大するにつれて、COOのゆーすけ(@yusuke_kawauchi)やCSの徹也(@tetsuyamiyagi)が勇人はすごい奴だと褒めていて。さらに、大手企業の案件をとりまとめたりして、思い返せばすごいことをしてくれていたんだなと今は感謝していますね。

勇人:僕も変わりましたね。小さい頃から見てきた家族としての兄は自己中心的で、クズだと思っていましたから(笑)
この2年半、一緒に働いてみて僕にはない素質も感じました。兄は天性的に「人を動かす力」を持っていて、交渉や商談もうまいんですよ。
僕もCSメンバーから商談がうまいと褒められたことがあるんですが、実は兄の商談のやり方を真似ていたんです。
兄をサポートするつもりでジョインしたけど、いろいろ学べたことは本当に大きかったですね。

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▲CEO 諸岡裕人(兄)

今後は別々の場所でノンデスクワーカーの働き方を変えていく

—— 諸岡さんは家業での現場経験からカミナシを起業しました。今回、その家業を勇人さんが継ぐことになります。どんな気持ちですか?

諸岡:僕は小さい頃から後継ぎとして育てられてきて。一度は父の会社に入って、現場の課題を目の当たりにして働き方を変えようと模索していた時期もあったんです。でも結果的に、外に出てカミナシを起業をすることになりました。
家業は自分のアイデンティティを作ってくれた場所なので、カミナシの次に大切にしたい場所なんですよね。
だから、勇人には僕ができなかったことを成し遂げて欲しいし、期待もしています。

—— 勇人さんは3,000人の社員が現場で働く会社の経営者になります。カミナシでの経験をどう生かしていきたいですか?

勇人:カミナシで2年半、CSとして働いてお客様の声を一番聞かせてもらいました。その中で、カミナシのようなITを導入すると、直接的な効果だけじゃなく現場の人のモチベーションが上がる瞬間を何回も体験してきたんです。
これからは「ITという武器を生かせるかどうか」で現場の働き方が変わっていくと思っています。それに気づけたことは僕の中での財産になっていますね。

家業の会社はまだまだアナログな文化が続いています。僕はカミナシの社員ではなくなりますが、今度は現場を持つ企業の経営者として、ITを活用してノンデスクワーカーたちの働き方を変えていこうと思っています。

諸岡:まずは「カミナシ」を全現場に導入してもらわないとね!期待しています(笑)

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▲当時のお揃いコーデを再現


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